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子育てにつまづいたときに(超上勢理論)

[2019.05.09]

赤ちゃんから、保育園・幼稚園に行き、その後小学生となり中学生になり、そしていつの日にか子供は大人になってゆきます。

おぎゃーと泣いて無事生まれてきたときの気持ち、「パパとママの子に生まれてきてくれてありがとう」はみなさんその時には感じたと思います。

子供は一人の人格として確実に「成長(=変化)」というものをしてゆきます。ある意味そこは、親という存在がなくても成長してゆきます。

親として子供と対峙していると、どうしても「こども中心(こどもファースト)」の生活にならざるを得ません。子供のペースに振り回され、思うようにいかないことが増えます。

古い考えの僕には理解不能ですが、現代の親はこどもの行事のために仕事を休み、こどもの習い事やスポーツの送り迎えを当たり前にし、練習試合などあろうなら自分の休みをつぶしてまで送迎する。

これを「こどものためだから当たり前」と親が思うことを、僕は疑問視しています。もちろん、こどもに時間を費やしたとしても、自分の時間も十二分にとれる方ならば問題ありません。

確かに、子育て期間中に滅私してこどもファーストを主題として生きることが、すべて悪い事とは言いません。それが生活の支えになっている親御さんもいらっしゃると思います。

でも、いまどきの子供たちは何から何までお膳立てされていることを「当然」と思っている。

そうすると不幸にもあるときに、こどもが「周囲ができることができない」という問題に直面すると、家全体・親もどうしていいかわからなくなりますし、めちゃくちゃバランスを失う。

不登校・いじめ・拒食症を筆頭とし、学校の成績、朝起きられない、夜中にあれほどするなと注意しているのにゲームばっかりしている、課題を提出しない、などなど。

特に思春期といわれる、小学校5年生ぐらいから中学校3年生までは非常に親子がかみ合わない状態が続きます。

親はイライラするし、パニックになるし、どうしてよいか?と悩む。この子に対して、何をしたらよいのだろう?何が足りないのだろう?と、子供への意識のベクトルが強くなる。

 

僕が言いたいのは、子育てにつまづいた場合には、親として・大人としての自分はまず「どうあるべきか?」と自分を見直す意識のベクトルをまずじっくり考えて欲しいのです。

ある種、依存心のかたまりが当然の子供たちを社会がつくりあげている。その中で、たまたま運悪く上手くいかなくなったときに、「こどもをどうするか?」を先に考えてはよくない

その事象を「まず親がどう受け止めてあげるか?」から入ることで、解決できない問題を抱えたとしても、将来的な結語はとても大きく変わります。

完全なる小言ですが、ちょっとみなさん甘やかしすぎ(親バカすぎ)ではないでしょうか? もっと自分を磨く時間、自分らしさを保つ時間を優先しても僕はよいと思っています。

そして以前からずっと言っていますが、親が大人・社会人としての見本となるように努めなくてはならない。

そして子供たちに、自分の身に降りかかった問題を、甘えるだけでなく、自分の力で解決できる人間を目指して欲しいと切に願っております。

すべては最終的に、いかにきれいに「子離れ」し、子供たちが自然に「親離れ」をしてくれるように、長い時間をかけて準備をする。それが子育て一番の基本軸だと僕は思っています。

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