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愚痴で始まる一日と、感謝で始まる一日。

[2021.04.11]

 まだ若かった頃に、一人の患者さんとかかわることになった。生まれつき重度の身体的奇形があり、心臓にも大きな病気がある。息もできないので生まれてすぐに挿管して人工呼吸器に。どう見ても「正常」とは懸け離れた姿をした赤ちゃんの「病状説明」を僕はしなければならなかった。ご家族が待つ部屋に入り、神妙な面持ちで話そうとする僕にご家族から、「先生、子供は生きてますか?生きているならそれだけで有り難いです」と。多発奇形として様々な病状を説明し、これから越えなければならないたくさんの障壁についてお話をするのだが、祖父母と父は「生まれてきてくれてよかった」という心からの喜びしかなかった。びっくりだった。僕は小児の心臓が専門だったので、生まれついての心臓病のお話を保護者にたくさんしてきたし、たくさん泣かせてきた。自分の子供に病気があることは、耐え難い不幸だと思うしつらいと思う。でも、そのご両親はそこには一切触れることなく、自分たちの手のなかで子供を育てられる喜びのなか、様々な治療を何一つ文句も言わずに頑張られた。親の愛は強い。医学的にどう考えても口から物を飲む・食べるは困難だと思っていたが、常識をはねのけて2歳ごろには経管栄養のチューブが不要になり、どう考えても自力で動けないだろうと思っていたが、4歳ごろにはたどたどしくも一人で歩いて診察室に入って来たときには主治医として涙が出た。親御さんの無償の愛が叶えた奇跡だった。「生きていることが感謝」素晴らしいご家族を持ったその子は、諸々の障害を持ちながらも間違いなく「幸せ」な子だった。生きているだけで、それだけでご両親からありがとうと言われる子だった。その後どうなったかはわからないが、とにかく僕の常識を変えた、印象深い家族だった。(小説風ブログに初挑戦!)

 

 親は欲深いものです。こどもに対して素直に「ありがとう」という感謝の気持ちを日々持っている人はいないと思います。腹立たしい事がしょっちゅうある。でも、元気に登園し元気に帰園してくれるだけで実はありがたいし、ゲーム依存症になったり、摂食障害になったり、新学期に多い不登校になったりしないで学校に行ってくれるだけで実は相当な親孝行だったりもします。当たり前のことを当たり前にしてくれることが、できなくなったときに「有り難いこと」と気づきます。

自分自身のこともそうです。怪我や病気をすると、働けませんし家族とも過ごせません。明日からまた憂鬱だなあ、、と思う日曜夜も「明日からも元気に働けることは誠にありがたい」という感謝の気持ちに変えられたならば、楽しい明日がやってくるのではないでしょうか。と、自問自答しながら過ごす毎日です。

 「愚痴で始まる一日と、感謝で始まる一日、どちらが良い一日でしょう?」

何気ない朝が来る日々を、「ありがたい」と気づいて感謝できる人になりたいものです。ではみなさん、今週も元気に頑張りましょう!。以上お寺の住職さんのようなお話でした(笑)

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