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挑み続ける限り、負けはない

[2020.03.14]

子供の頃から、「極論」を考えるのが好きでした。たとえば、物が極限まで小さくなると「無」になるのか?とか、極限の熱さ寒さって何?とか物理的なものが好きです。数字も好きで、素数とかは概念が素晴らしいし、どんな数字でも「足すとちょうどピッタリになる」っていうのが好きで、7+3は好きで、7+2とか7+4は嫌いとか、変なこだわりもあります。ピッタリが好き。思考的なものをあれこれ考えるのも好きで、それこそ「愛」と「恋」の違いを考えたり、「幸せ」の定義について考えてみたり。感情的なものは、自分の「心」=受け止め方次第で決まるということを以前にもお話したことがあります。どんなことが起こっても、うまくいかないこと(特にままならないのが自分のこどものことです)も、受け止め方次第(心)で、許せないものが許せたり、不幸とも幸せとも感じられたりします。だから「幸せ」でいたいならば、物事を不幸に捉えない心の癖をつける必要があります。 そんなヘンテコ思想の僕が今の段階で思っていることを一つ。  「新型コロナウイルス」は中国日本にとどまらず、いよいよ世界中での感染(パンデミック)になりました。初期段階で制圧できればよかったのですが、人知以上にウイルスは威力があった。では、最後にウイルスが勝つのか?というと絶対にそうではありません。人類は滅亡しません。犠牲者は出ますが、それは一部のみ。最終的には大多数の人が感染してしまえば集団免疫となりウイルスは去ります。そう、この勝負、人類の勝ちは初めから決まっているのです。では今、何をしているかというと「犠牲者(ほぼ高齢者と言い切ってよい)」を増やさないように戦う準備をしているのです。そして、挑み続けるかぎり、負けはないのです。あきらめたときが「敗北」です。完全勝利とはいかないまでも、負けはない。ならば精神的にも負ける(=不安)必要はありません。過度な心配はしなくてもよい。そして「挑む」とは、個人防御と集団防御の両方からウイルスが拡散しないようにすることです。重要なのは「自分がかかっていないか?」と「陰性確認」をすることではなく、いかに集団に拡がらないように日々の生活をふるまうべきか?ということなのです。やはり今回は特に高齢者の方が危ないので、ぜひ同居されている方は「自分がよくても、誰かに迷惑をかけるといけないから、気を付けてね」と高齢者の方に注意を促してあげてください。

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