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什の掟(ならぬことはならぬ)

[2022.07.13]

「日本を良くしたい」という純粋な理念を持った政治家、安倍元首相が銃弾で命を落としたことに、背筋の凍るような怖さとやり場のない虚しさ・悲しさを、皆さんも感じたと思います。ただただ残念な事件です。それをニュースでは、「今後の日本は」という選挙や政治的な話題に誘導をしたり、SPや警察の警護が悪かったなどとタラレバな話題にすり替えたり、犯人の過去から宗教法人の問題にすり替えたりしています。確かに、なぜ?を考えるのも大事だし、同じ過ちを防ぐための方策の検討も必要だし、今まで完全な社会の治外法権であった宗教法人にもメスをいれるべきかもしれません。課題はたくさんあります。でもこういう事件から我々が最も学ぶべきは何か?というの考えるのが重要だと思います。

こどもから「何で人を殺してはダメなの?」と質問されたら、親はどう答えるべきかという問いがあります。これに正しく理論立てて答えられる人は、この世にいません。答えは簡単です。「ダメなものは何があってもダメ」なのです。当然の事に議論など不要。断定です。これが人が社会の中で生きるうえで「最も重要」な規範なのです。「ならぬことはならぬものです」という、会津の什の掟と同じです。どんな理由があれ、どんな感情になったとしても、人は人を殺めてはならない。たとえ社会的弱者であろとう、他人を傷つける正当な権利などないのです。今改めて、その当然の道理を再認識するとともに、我が子にもその「人間の尊厳」をあらためて教える機会としていただきたいなと。それ以外の事については、無責任な解説者や専門家が言葉遊びをして金儲けをしてるのを、冷ややかな目で見ていればよいのです。

 「①よわいものいじめをしない ②SOSを出す勇気を持つ ③SOSを出している人に手をさしのべる勇気を持つ」。強いものは、弱いものを助ける。困っていれば、助けを求める。助けを求めるひとに対して見て見ぬふりをしない。そういう当たり前の道徳を、「これが正しい」と大人が常に声を出して伝えるべきだと。正しい行動規範を次の世代に繋いでゆく。それが子供に対して最もやらなければならない大人の義務だと思います。今の世にそぐわないこともありますが、「什の掟」を心の柱として改めて人間の尊厳・道徳を育むべき時だと思いました。

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