三つ子の魂
こどもの頃に植え付けられた倫理観が、一生その子の人生を支える礎となる。その実例として少し自分のことを書きます。
こどもの頃は、脳みそがシャキシャキだった僕。世の中を達観しておりましたので、小学校4年生ぐらいで精神年齢は今と同じぐらいに熟しました。バカな大人をみて、馬鹿だなあと痛烈に批判してました。
まあそれ自体がこどもの考えだったと今は思います。熟してからの人生、本で何かを読んだりメディアで何かを観たりしても、激しい感動を覚えたり、いやあこれは新しい考え方だなあと感動はほぼありません。
冷めた子供、まあかわいくはないですね。見た目もこんなんですし(笑)。
で、僕の倫理観を作ったのは何かと聞かれると、やはり親の躾が大きかったと思います。玄関での靴の脱ぎ履きから始まり、箸の持ち方、人と会話するときの態度など、親みずからが実践してみせてくれましたし、叩き込まれたといっても過言ではありません。それと、ボーイスカウトで学んだ「自然の恵み・水1滴の大切さ」もあります。そして、親に連れられて行っていたお寺での法話。人として生きてゆくには、自分の幸せ(利己的)ではなく、誰かのため(利他的)になる人生をという清らかさ、僕にはとっても心に浸みました。何を規範に生きているかというと、そういう教えを基にして生きてきました。
ただ、どこかで「褒められたい」という意識で生活していた気がします。思い出すに叱られた記憶が多く、褒められることに飢えたため、今のようなひねくれた脳みそになってしまいました。
何を言いたいかというと、叱って躾けるだけではこどもは成長しない。叱られ慣れると、いつしか大人を信用しなくなり、自分勝手な嘘をつくようになります。他人にも迷惑をかけるようになる。
当然甘いだけでは良くないのですが、頑張ったとき、正しい事をしたときに「頑張ったね」「偉いね」とちゃんと褒めてあげて欲しい。かなりオーバーに。それが子供の気持ちとうまくリンクすれば、きっとほめてもらうためにもっと頑張り、もっといい事をする子供たちに育つと思うんです。小さい頃からそういう経験を持てたこどもは、ちゃんと親が敷いた規範のレールを逸れることなく正しい人生を歩む。だから、たくさんたくさんほめてあげて欲しいなあと思います。
自分が子育て中にそれができたかというと、やや反省が残ります。三つ子の魂百まで。こどもの頃の良い記憶が、その子の一生を決めると思うと、褒める大切さが見えてくると思います。
叱るのは簡単ですが、褒めるのは頭を使うし難しい。でもこの微妙な親の押し引きを制することができれば、きっといい子が育ちますよ。
褒められ難民の僕みたいな捻くれた大人が、一人でも少なくなりますように(笑)