本当に善意かなあ??と思う瞬間
まず大前提として、「善意」は素晴らしい行為です。なかなかできるものではありません。通常は手放しで賞賛されるべきものです。
で、世の中から「マスク」が消えて2か月半以上経ちます。クリニックもマスクを仕入れられた最後が2月の初旬です。以後全く手に入りません。巷では数枚入りのマスクをめぐって朝からドラッグストアに並んだり、使い捨てをあきらめて手作りマスクで代用したり、まだ届かぬ「アベノマスク」の話題、そして思い切り福井県のマネをした「マスク購入券」など、マスクの話題が絶えない毎日です。
一方、最近ちょいちょい見かけるのが、「医療施設に〇〇万枚のマスクを寄贈」みたいなニュースです。コロナ感染症の最前線で戦っている病院にとって、こういう寄付は何よりも有り難いことで、その行為は非常に尊いものです。しかしこのご時世でその大量のマスク、いったいどこから手に入れたのか?ということまでは「寄贈」の時には触れられません。そもそも、マスク製造会社からではなく、今までマスク流通の正規取り扱い店でもないのに、何を目的として、〇〇万枚のマスクを一体どうやったら手に入れたのでしょうか??
勝手な推測すると、①転売営利目的に買い占められたマスクが、転売ヤーがそろそろ持ちきれなくなったため、裏ルートを使って小売業者などに大きな単位で売り払った。②貿易関係の会社が中国から密輸入。こんな理由でもない限りはこのご時世マスクは余らないと思うのは天邪鬼な僕だけでしょうか。本来は転売目的で仕入れてみたものの、法律で転売禁止となり「販売」で儲けるのは無理になっちゃったので、「寄贈」という行為で自社のイメージアップにマスクを使用。この推測、当たらずしも遠からずな気がしています。
「寄贈」は立派な行為は行為。でも本来それは「表立って」やるものではないと僕は思うのです。ニュースにしたり、病院のHPに載せたり、自社のHPに載せたりしては、それはある意味「営利目的」になる。だから本当の善意ならば公表しないのが美学だと思うんです。どこか営利な善意の匂いがするなあと。
なので、こんな話題が増えてきたら、おそらく正規ルートのマスクも少しずつ出回るようになってきそうな気がします。GW明けぐらいに、値崩れしてまっとうな価格で世に潤沢に出回ることを願います。