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ダメだということが正義ではない(超上勢理論)

[2019.07.27]

えー、ちょっと個人的に落ち込むことがありまして、、、詳しく書けませんが仕事上重要なことなので自己責任ですがかなり凹んでます。それが日々の診療の気持ちにも出てしまっているので、気持ちを切り替えて来週からまた頑張ります。

 

昨今のテレビ報道やニュースを見ていても思うのは、「ダメなものをダメということが正義だ」と言わんばかりの言論の横暴が飛び交っていると感じます。

確かに、ダメなことをするのはダメですが、ある一面だけをみて本当にその人はすべてがダメな人なんでしょうかね? 四方八方全方向からみても正しい人間なんて、存在するのか疑問です。

嘘をつくのはいいことではないですが、その嘘をなぜついたのか?と憶測するに、自分を守るためだけでなく、自分以外の何かを守るためについた嘘ならば僕は許す余地があると思ってしまいます。

全く同じことを二度繰り返す罪(初犯ではなく再犯)は、許してはいけません。でも、初めてのこと・上手くやろうとふるまってみたけれどたまたまダメだった人に、そこまで弱者をいたぶるダメだしの正義感をふるうことは、僕が嫌う「弱い者いじめ」と同じことのような気がしてならないのです。

もし自分の子供が何かよくないことをしたときに、はなから「ダメ」「これが正しい」と押さえつけて罰するのではなく、「なぜそのダメをしてしまったのか?」「どういう気持ちだったのか?」「そこに情状酌量の余地があるのか?」を冷静に聞きだして判断し、良くなかった部分は「こういう風に直そうね」と助言してあげて、一度目は許してあげる。そして、ダメな部分だけを見るのではなく、良いところを探してあげてそこを認めてあげる。そういう関わりが望ましいと思うんです。

聖人君子などは理想論です。100点の人間などいない。どこかに傷はある。でも人と人とのかかわり合いのなかで、悪い面じゃなく良い面を持ち寄れば、いい社会ができる。それがまた社会に還元してゆくエネルギーになると思います。

悪いところを指摘されたくないから、何にもチャレンジしない、前向きにならない無難さだけでは、社会は衰退していく一方です。

 夢を持て。失敗を恐れるな。きっと君たちのいいところを見てくれる味方が必ずいる。そういう雰囲気を持った社会こそ、よい人間をはぐくむ健全な社会なのではないかと思います。

自分自身にもいいことがなかったときに、自分はダメだと否定しがちです。でも、きっと自分にもいいところがある、そう自分を肯定し褒めてあげる。自分に一番優しくできるのは自分自身だということも忘れないでください。

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